
明治政府が誕生すると、日本は中央集権体制の下に組み込まれたが、東北地方支配の
政治的拠点とされた仙台市を中心に発展が始まります。
仙台には、富国強兵政策によって陸軍が置かれ、また東北帝国大学を初めとした高等教育機関が設立されました。
一方で、仙台湾の大半が砂浜で臨海工業の適地がなかったため、殖産興業時代から高度経済成長に至るまで、
宮城県では第二次産業が発展はみられませんでした。
ただし、石巻湾に石巻工業港、仙台湾に仙台港(いずれも掘り込み式)が造られ、
工業集積はある程度進んでいきます。
高度経済成長期頃から、第二次産業から第三次産業への転換が進むと、東北自動車道や仙台バイパスの建設、
および広大な流通団地の建設によって、仙台は東北地方の卸売り商業の中心地、そして支店経済都市として
人口が激増し、その他の県内拠点都市も発展をみせます。
その後、東北新幹線の開業やモータリゼーション、仙台市の政令指定都市化、バブル景気の影響から、
仙台市とその周辺が特に発展して「仙台都市圏」の一極集中が進んでいくことになります。